Convenient human sight.


僕は毛虫、芋虫が大嫌いだ。
大小関わらず、嫌いなのである。
でも、不思議と良く見つけてしまうのだ。


人間の視覚は、都合がよくできているようで、
意識しているものを、良くも悪くも、めざとく見つけてしまう。
また、嫌いなもの(人も?)ほど、良く観察してしまうこともある。


もちろん、気になるもの(人も?)も、”あこがれ”と言う色をプラスして、
良く見えてしまうことは、どなたでも経験があるのでは無いだろうか?


水中は誰にとっても憧れの空間で、期待度は高い。
そして様々な広告や写真によって、その素晴らしさが情報として流れる。
期待は確信へと変化し、脳に記憶されて行く。


海の青さや、生物の持つ鮮やかな色彩。
それが感動へつながって行く。


しかし、期待、というよりも”確信”していた感覚や色彩と違ったなら?
おそらく、絶望感、場合によっては嫌悪感に変化してしまう事も。
水温等の、様々な自然環境の影響も重なって、さらに肥大化してしまうことも。


そもそも、色彩は、物体に反射した光が目に入る事で認識出来るものであり、
水中では波長の長い”赤”から吸収されてしまう。
結果として青いフィルターを通したような世界になる。
陸上に比べて、光の少ない世界なのだ。


プランクトンが増える春の海では、水中は緑色のフィルターを通したようになる。
それは、プランクトンが緑色を反射する身体の持ち主だからである。


見た目は”春濁り”とも言われるくらい、透明度は落ちる。
まるでバスクリンの中で潜っているようにも感じられる。


緑の低視界では、バディとはぐれてしまわないか?と、ストレスが高く感じられ、
夏〜秋の透明度の高い海が強く印象に残っている場合は、なおさらつまらなく感じる。


しかし、その植物性プランクトンを、動物プランクトンが食べ、
それをまた小魚が食べ、そしてさらに魚が食べ、、と言う食物連鎖が成り立っている。


春の濁りは、豊かな海の証しなのである。


そう考えると、四季折々の”海の表情”を見てみたくなる。


人の価値観はそれぞれなので、何が良くて、何が悪いとか、
そういう問題ではない。


ダイバーは、直接、色んな”海の表情”を見ることができるのだ。


そろそろ、色をつけてみよう。
5月末の、北海道積丹、海の色


皆さんの目には、どう写っただろうか?
僕には、とても幻想的に見えるのです。

モノクロ写真は大好きである。
それは、時に、本当の色を引き立たせてくれもするからである。


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